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反対者も協力者に

そういうことを考えるにつけ、今日、こうして松下電器があるのは、ほんとうに皆さんのおかげです。私どもはひと言も文句を言える義理ではないのです。これからは心を入れ替えて出直します」そう話しているうちに、幸之助は目頭が熱くなり絶句してしまった。会場もいつしか静まり返り、出席者の半分以上は、ハンカチで目を押さえていた。三日間にわたる激論の結果、懇談会は最後に心あたたまる感動のうちに終わった。販売会社、代理店、そして松下電器はお互いに気持ちを引き締めあった。この会談のあと、八月一日から、病気休養中の営業本部長を代行した幸之助を中心に、新しい販売制度が生み出され、その新制度のもとに協力体制が敷かれて、一年後には事態は好転した。

昭和四十年。二月から新販売体制をスタートさせることになった松下電器の各地区営業所長は、販売会社、販売店の理解を得るために奔走していた。いよいよスタートも間近というある日、四国の営業所長のもとに、営業本部長から電話が入った。「四国のご販売店のなかでお一人、猛烈に反対されている方があるやないか。実はその人から電話があったのや」営業所長は答えた。「まあ、そういう人もいますが、解決するのも時間の問題と思っております。ご安心ください」そのとき急に、営業本部長に代わって幸之助が電話口に出た。

「これは社運を賭しての仕事だから、一人でも反対があればやってはならないとぼくは思う。きみも、先方によくお話をして、わかっていただけるまではやらないと、そういう気持ちでやってほしい。まあ、一週間かかろうが、一ヵ月かかろうが、とにかくわかってもらえるまで、きみ、話さんとあかんで」営業所長が時計を見ると、五時半であった。今からなら六時の汽車に間にあう。「これからさっそく先方へ行ってお話ししてきます」「そうか、そら結構なことや。ぜひひとつ頼むで」反対している人からの電話に、すぐに営業所長を差し向けた幸之助の、また遅い時間にもかかわらず、その日のうちに出向いていった営業所長の熱意が伝わって、その後三回の懇談を経て、猛烈な反対者は頼もしい協力者に変わった。

幸之助は、忙しいスケジュールのあいまをぬって、十日か二週間に一回は散髪することにしていたが、これには一つのきっかけがあった。昭和三十年ごろ、東京銀座のある理髪店に行ったときのことである。三十七、八歳の店員が幸之助の頭を刈りながらこう言った。「お見受けするところ、松下さんには、もっと頭髪を大事にして、常にどんな刈り方がいいか、どんな髪型が似合うか、自分で研究していただかなければいけないように思いますね」「どうしてでっか」「銀座の四丁目には、松下さんの会社のネオン塔がありますね。松下さんの頭は、言ってみればそれ以上に大紅なあなたの会社の看板です。ですから、お客さんがあなたの頭をご覧になって、あなたの会社の製品を買う気がしないというような気分にならないように、常に十分な手入れをしていただかなければ……」

昭和二十四年、北海道営業所が主催する販売店の懇談会が、ある温泉地で行なわれた。会が無事にすみ、後片づけをすませたころには、午前零時をまわっていた。営業所の社員たちは、一日の疲れで風呂にも入らず、すぐに寝てしまった。翌朝早く、社員の一人が風呂を浴びに行くと、そこにはすでに、社長として前夜の懇談会に出席していた幸之助の姿があった。「おはようございます。昨晩はお疲れさまでした。お背中を流しましょうか」と尋ねると、幸之助は、「それはありがとう。けれどもそこにお得意様がおられる。その方を先に……」湯煙を透かして見ると、ある販売店のご店主が入っておられる。知っている顔でもあったので、社員は幸之助の言葉に従った。

「農民工」とは

このように少子・高齢化問題は、中国が今後も経済成長をしていくうえで、決して軽く見ることのできない深刻な問題です。中国政府は「一人っ子政策」の見直しを検討するなど、人口バランスの改善に向けて懸命な努力をしていますが、三〇年以上も続いた政策によって生み出されたアンバランスは、そう簡単に修正できるものではありません。いまや中国経済の成長は、世界経済の成長を支える欠かせない力になっています。それだけに、中国が今後、少子・高齢化問題とどのように向き合い、解決していくのかについては、世界中の国々が注目しています。「農民工」の減少で危機に直面する中国の輸出企業。労働人口の減少は、中国の経済成長を支える大きな柱のひとつである「輸出」にも大きな悪影響をもたらします。農作物を除けば、中国の輸出品の多くは、衣類やバッグ、玩具、小物、時計などの低付加価値工業製品がほとんどです。

こうした製品は中国の沿海部に進出した外資系や民間の工場などで組み立てられ、海外に送り出されます。数千人、数万人規模の単純労働者が働く工場が多く、典型的な労働集約型産業と言えます。労働人口が減少すると、工場はそうした単純労働者たちを確保することが困難になり、生産ラインが維持できなくなってしまいます。中国の労働人口の増加がピークを迎えるのは二〇一五年ごろと言われていますが、じつはすでに、中国の沿海部の工場の多くは慢性的な人手不足に悩んでいるのです。日本のテレビや新聞も、中国の経済ニュースを伝える際に、しばしば「農民工」という言葉を用いるので、一度は目や耳にしたことがあるかと思います。

「農民工」とは、文字どおり、貧しい内陸部から工場労働者などとして出稼ぎにやって来た農民たちのことです。中国の経済成長の大きな割合を占める対外輸出は、農民工たちの力によって支えられていると言っても過言ではありません。農民工が沿海部へ出稼ぎにやって来るのは、貧しいからにほかなりません。中国の農民の年収は平均で六〇〇〇元(約七万二〇〇〇円)余り。一日一ドル(約八一円)以下で生活している人が約一億五〇〇〇万人もいます。農民工の給料は決して高いわけではありませんが、それでも月一〇〇〇元(約一万二〇〇〇円)前後は稼ぐことができます。農民工は工場で二~三年働き、故郷で家を買ったり、自分で商売を始めるだけの蓄えができれば、仕事を辞めて帰ってしまうのが一般的です。そのため工場の経営者は、つねに新しい単純労働者を募集し続けなければなりません。

ところがここ数年、工場の単純労働者の補充が非常に困難になってきました。沿海部にやって来る農民工の数が減っているのに加え、辞めて故郷に帰る農民工も増えているからです。農民工の人手不足のことを「民工荒」と言います。広東省や浙江省など輸出企業の多い沿海部の省では、「民工荒」は、省全体の経済に悪影響を及ぼすほどの深刻な問題となっています。一般に農民工は、旧正月(例年二月ごろ)に休暇を取って帰省しますが、最近はそのまま戻って来なくなることが多いようです。広東省の東莞市という輸出工場の多いとこ 瞬ろでは、二〇一一年の旧正月連休に約三五〇万人の農民工が帰省して、連休明けに戻ってきたのは半分以下の一六〇万人だけでした。これでは工場が稼働できなくなるのも無理はありません。都市部の飲食店や小売店の従業員、清掃作業員として働く農民工も多く、その不足はサービス業にも大きな打撃をもたらしています。

沿海部の工場で働く農民エが減っているのは、近年、内陸部の賃金が上昇してきたからだと言われています。きっかけは二〇〇八年の「リーマンーショック」でした。当時、未曾有の金融危機によって欧米の消費が落ち込み、中国の輸出企業も大打撃を受けました。生産をストップさせて多くの農民工を解雇する企業が続出しました。職を失った農民工たちの雇用の受け皿を確保するため、中国政府が公共インフラ建設を中心とする四兆元(約四八兆円)の大型財政出動を行ったことはすでに述べたとおりです。その多くは、経済発展が遅れている内陸部の道路や鉄道、発電所などを建設するために投じられました。その結果、大勢の農民工が故郷に戻り、地元の建設工事現場でお金を稼げるようになったのです。

東京の有名レストランに売り込み

八六歳になる堀俣蔵さんは、戦後に開拓者として大山に入ってきた。牛作りの名人と評判だが、後継者がいないため、農協の畜産担当者が時々手伝いに訪れる。腕は鈍っていないものの、体力の衰えは否めない。「(畜産は)計算すると儲からんな。あと二、三年くらいかな」さすがの堀さんからも弱気な発言が聞かれる。このままでは、和牛の一大産地の火が消えてしまいそうだ。大山には、手付かずのブナの原生林が広がっている。幹の周囲が五メートル以上の、樹齢四〇〇年、五〇〇年といった大木も生えている。このブナの原生林を通り、山で磨かれた水は、数百年の時を経て、伏流水として湧き出している。

この大山の恵みで育てた黒毛和牛をブランド牛にしようと動き出したのが、西田佳樹さん(三七歳)だ。西田さんは、祖父の代から三代続く「牛飼い」である。小学校六年生の時、初めて自分専用の牛を与えられた。高校の畜産科を卒業して、牛飼い一筋でやってきた。昔ながらのやり方で、安心で安全な牛を育て、肉質にも定評はあるが、全国的には知られていない。

三〇ヵ月をかけて、丹精込めて育てた牛が出荷される日。西田さんは牛と記念の写真を撮りながら、「ええ子だな」と話しかけていた。西田さんの牛のようにブランドがないと、一頭八〇万円ほどでしか売れないという。これが松阪牛になると、一五〇万円。この差を何とか埋められないものか。そう考えた西田さんは、「大山黒牛」のブランド化に取り組み始めたのである。大山黒牛のブランドの条件は、大山からの良質な水をたっぷりと与えること。そして、大山の水で育った稲わらを食べさせることだ。「みんなが喜んでくれんと。牛を飼っていてよかった、農業をしてよかったという状況にならないとね。大山黒牛のブランド化を進めて地域全体がそうなってくれたらいい」

西田さんは、こう狙いを話した。その西田さんの呼びかけに応じて、同じ気持ちを持った畜産農家が四軒集まった。西田さんたち四人が育てる牛の肉質は、町内でも指折りとされる。自慢の牛肉で焼肉を食べながら、四人の夢は膨らんだ。「食べた後でも、肉って感じが残る。これはほかの肉と差をつけられると思う。これをおいしいと感じて食べてくれる人が日本の人口の二%でも見つかれば十分」西田さんの話は止まらない。こうした畜産農家同士の集まりのほかにも、地元の協力者とも定期的な会合が開かれている。いかにすれば、大山黒牛の価値を高められるか、戦略を練るためだ。

「大山の自然のなかで飼っているという価値を消費者や業務店の人たちに、どうわかってもらうかだ。ただおいしいとか、何日飼育したとかじや、ピンとこない」(地元ホテルの支配人)「松阪にしても米沢にしても生産者の顔が見えてこない。ここは、強くて小さいブランドを目指しているんだから、顔を出すようにして」(地元銀行次長)「消費者に渡るルートも厳選していくべきだ」(地元銀行支店長)当面は年間一〇〇頭が限界の小さなブランド。それを逆手にとる方針が固まった。鳥取市にある精肉店「はなふさ」社長の花房稔さんが、販路開拓の責任者を買って出てくれることになった。大山黒牛の流通は、はなふさが一手に引き受ける。

花房さんの冷蔵庫にある大山黒牛の肉には全て、生産者の名前が貼ってあった。わずか四軒の畜産農家ゆえにできることである。これで、消費者に味だけでなく、安心安全も訴えていく戦略だ。西田さんは、大山黒牛を扱ってくれる飲食店を求めて、京都を訪れた。祇園のあるお店に飛び込みで営業に入る。「鳥取の大山で育てた牛をブランドにしていこうという取り組みでして」と説明に汗を流す西田さん。ところが、店員たちは「だいせんつて、大きいに仙台の仙ですか?」。まずは地域の名前から知ってもらわなければならない状態だ。

人材紹介会社のキャリアカウンセラー

このような「客先常駐」ではトラブルを避けるため、派遣された社員の業務範囲が契約で決められている。そうなると、もし契約の仕事がなんらかの理由でストップしてしまったとしても、それ以外の仕事をすることができないのでズルズルと社内失業してしまうことがある。ここでは、その客先常駐によって社内失業してしまったケースを紹介しよう。吉野直人さん(35歳)は、あるユーザー企業の会計システム構築プロジェクトに参加した後で、そのシステムの運用担当者として、その企業に常駐することになった。「最初の1年はそれなりに忙しかったんですよ。担当するシステムに活気があったというか。企業でもよく使われてたんですね。『こういうふうに使いたいんだけどできますか』つていう問い合わせが結構きて、対応もそれなりにしてました。残業はあまりない程度に、ではありましたけどね。

その企業っていうのは、海外展開もしている一部上場企業です。うちの会社はその中に入ってる、小さな下請けなんですね。職場のチームは5人でした。上司が一人いまして、自分以外は、3人がそのユーザー企業の社員さんで、もう一人は別の会社からきた契約社員さん。最初の1年は普通に働いてたんですが、1年過ぎたあたりから暇になりましたね。自分が担当してたシステムが、その企業内でだんだん使われなくなってきたんですよ。お客さんのほうで別のシステムに移行するという話がありまして。ほとんど使われない状態のシステムを保守することになった、というわけです。『いてもいなくてもいいけど、せっかく雇ってるから』つていうことで、そのまま半年間ですね。最終的に、そのシステムがほぼ使われなくなるまで、ですね。

一日中、仕事に関することをしない日もありました。とにかく座ってるだけ。でも客先で『なにしてんだ』とか言われるようなことはなかったです。暇だったのは知られていたと思いますけど。契約で、基本的には保守の仕事以外はさせてはいけないことになってますので、『じやあ勉強してて』なんて言われてました。最初の頃は一応勉強もちやんとしてた気がするんですけど、だんだんとしなくなっていきましたね。最初はやっぱり辛かったですけど、『自分の仕事は、とにかくここにいることなんだ』つて割り切り始めてからは、楽になりました。好きなようにしよう、つて思えるようになっていったんですね。

仕事がくればそれなりにはやってましたしね。でも振られる仕事自体が少ない。今はそのシステム自体がなくなってしまったので、もうその会社にはいません。結局半年間ぐらいの短い経験でしたけど、もう二度と経験したくないですね」システムの管理・保守業務は、一般的に仕事量が少なく、社内失業化しやすい職場が多い。人材紹介会社のキャリアカウンセラーとして数々の職場を見てきた蟹沢孝夫氏も、やること自体は比較的ラクで、そのぶん待遇も決していいとはいえないがなんとか暮らせるので、その気になれば長く続けられる仕事も存在する。しかし、こうした仕事を続けているうちに、人生において大切な時間や将来性を少しずつ奪われてしまうことから、結果的にブラック視できる職場にも本書は注目する。(中略)こちらは肉食系に比べて一見おとなしめにみえるため、「草食系ブラック職場」と呼びたい。

この問題を指摘している。特に新技術開発のスピードが早いITの世界において、経験を積めず、数力月~数年のキャリアを遊ばせてしまう状態は、まさに致命的とも言える。職場の仕事がなく、ほかの仕事を契約で禁じられているような吉野さんの場合、当人にどうしようもないのは、もはや言うまでもないだろう。それでもあなたは「本人の気持ちの問題だ、探せば仕事はある」と言えるだろうか。さて、いかがだっただろうか。第一章から第四章までを見ていただくことで、社内失業の問題は個々の資質によるものではなく、社会情勢の変化や職場が抱える問題が生み出しているものだ、ということが分かっていただけたかと思う。

中国政府に批判的な論文

救助隊員のあの行動は、「礼」の表れというより、日本人の信心の表れである。知人も赤の他人もなく、日本人も中国人もなく、「亡くなれば皆、仏になる」。特定の宗教、宗派、教義とは関係なく、私たちは自然とそう考える民族である。でも、中国人の友人、知人にはとくにそのことを説明しなかった。その民族にしかわかり得ない価値観を、他人に殊更アピールしてもしょうがない。こうした日本人特有の感情は、くだんの「靖国カード」とも関連していたことではあるが、それでも、震災で亡くなった人の話の流れで「政争」の蒸し返しのような真似はしたくないと思った。ある在日中国人学者は、次のようなことを自著に書いていた。「わが江沢民主席(当時)は仏教にひじょうに関心をもつ方であり、『中国人にとっては仏教の教えが馴染みやすい』と語った」彼はまた、中国という国は「固い殻に包まれてはいるか、中身はやわらかい」国だともいい、いったん中に入ってみれば、中国は融通無碍でやりやすい社会だとも述べている。これはまったく、真実である。

たしかに中国では、いったん中に入って彼らの流儀に染まれば「何でも可能」な社会ではある。この「融通無碍」に感激して、「中国・シンパ」になる日本のビジネスマン、財界人も少なくないが、この話、別の角度から見ればとんでもない話でもある。関係者すべてに「お礼」を配ることで、「絶対に見せない」といっていた貴重な文物を見せてくれ、ホテルの社長と友達だからという理由で、すでにチェックインしていたほかの客を追い出してまで部屋を融通してくれるのが中国人であり、中国である。前述の在日中国人学者がいう「中に入れば」の人治主義の論法でいうと、「共産党が認めてやった範囲でなら、チベット仏教の信仰、大いに結構。なぜって江主席(当時)も仏教には大いにご理解があるからね」というわけなのだ。「唯我独尊」的な愚かさもここまでいくと気の毒にさえ思えてくる。

こうした蒙昧厚顔ぶりがいかんなく表れているのが、中国共産党の「宗教政策」であろう。ダライラマに代表されるチベット仏教の活仏(『生まれ変わり』によって継がれる高僧)も、イスラム教寺院(モスク)で礼拝できる人の資格も、共産党が決め、「許可」を与えるという信じられない政策を実施している。千数百年続いてきたチベット仏教も。イスラム教も、たかだか60年にも満たない共産党政府の管理下に置こうという発想。聞いているほうが恥ずかしくなるような考えである。だからこそ、これに対してチベット人やウイグル人は命がけの抵抗をしている。しかし、意外なことに、こうした共産党の恥知らずな論法に対して、チベット人やウイグル人よりも従順なのは、中国に実効支配などされてもいない世界の大国、日本の学者や文化人、メディア関係者のようなのだ。

中国政府に批判的な論文や記事を発表したら、研究調査に現地へ行けなくなる、史料も見せてもらえなくなる、メディアは取材ができなくなるなどの話は実際よく聞かれる。学問や報道の自由があるからこそ仕事をできているはずの人々が、外国政府の意向によっていとも容易く、そうした自らの「魂」を軽んじるのは情けない。食の安全に関して、中国側の責任をうやむやにするかのような態度も同様だ。学問や報道の自由はもちろん大変重要だが、食の安全はある意味、それ以上に「政治的駆け引きの道具」などにされては困る類のこと。このことには最近、日本の一般国民が気づいている。それがせめてもの救いである。自分だけを信じ、勝負する人々真っ赤なばあさん、真っ青なじいさん。中国の巷で最もよく見かける光景とは何か? 食事風景を別にすれば、ダントツはトランプなどの勝負事に興じる人々、ではないだろうか。屋外でも麻雀というのも珍しくないが、トランプセットあって二人揃えばできるトランプゲームのほうが断然、手軽なためか、やたらとよく見かける。

一昨年(2007年)末、広州で、昼下がりの暇な時間帯に漢方薬材の市場へ出かけてみると、数百軒は並ぶ店の店番の人のうち間違いなく9割がトランプに興じていた。読書をしていた人は皆無。こういうと、「日本人だって電車内でも携帯でゲームをやっているじやないか」という指摘があるかもしれないが、中国でのトランプはただの暇つぶしではない。額の多少はともかく、ほぼ100パーセント、金を賭けている。以前、相当な山奥の農家にお邪魔したとき、庭先で、どう見ても80歳を超えたおばあちゃん4人がブリッジをする光景に出くわした。4人の意気軒昂ぶりに思わず見とれたが、なかでも最高齢のおばあちゃんが91歳と聞いて尊敬すらしてしまった。いつも決まったメンバーでのお楽しみ、というのとかな雰囲気にも見えたが、おばあちゃんたちは当然、小遣い銭を賭けていてそれなりに真剣だった。

教育バウチャーで格差解消

近代日本はずっと「階級レス社会」だったが、正社員になれた人となれなかった人の違いが、世代を超えて受け継がれるようになってきた。ここに来て、日本でも階級が固定されてきた印象がある。それはきわめて不幸な話だ。その家庭に生まれた子どもからすると、自分でコントロールできない要素で自分の人生が決まっていく。まったく由々しき事態である。競争社会である以上、格差というのはなくならない。私は、格差があることが不健全なのではなく、格差が固定されてしまうことが不幸なのだと思う。格差があっても、競争によって逆転できるなら、それはむしろ社会の活力となる。少なくとも格差をなくすことを目指した社会主義国がいちばん深刻な格差をつくって湾たのが、入間の歴史である。

収入格差が子どもの教育機会を奪っている。ならば、教育のための公的な補助があってもいいはずだ。私は、こと教育に関しては、現物給付を支持している。いわゆる「教育バウチャー」である。私立学校の学費や資格試験の受験料など、教育に使途を限定したクーポンを支給する。現金を渡してしまうと、親のパチンコ代に消えてしまうかもしれないので、現物給付がいい。バウチャーを利用できるのは、小・中・高はもちろん、大学まで視野に入れてもいいと思う。ただし、その場合の大学は、アカデミックスクールではなく、職業訓練校格差解消のためにバウチャーを利用するのだから、立派な社会人としてスタートが切れるように、きちんと訓練してくれないと困る。

親の収入にかかわらず、大学できちんとトレーニングを積んで就職年齢に達すれば、そこから先は労働市場の競争が始まる。基本的な能力のかさ上げは済んでいるのだから、その段階での逆転は十分可能だ。親の代の収入格差を子どもの代で引きずらなければ、格差は固定されないし、階級も生まれない。教育バウチャーが必要な理由である。単なるバラマキではなく、評価と一体に。また、民主党が始めた公立高校の無償化は、格差解消の手段としては一定の意味があると、私は思う。

ただし、もっと高校間競争を促進するような仕組みとセットにしないと、ただのバラマキになってしまう可能性がある。現状では、東大合格者数くらいしか比較できる数字がないが、それが機能するのはごく一部の上位校だけなので、どういうふうに高校の実力を評価するのか。これは要検討課題だと思う。無償化したり、バウチャーを導入したりすれば、生徒は集まる。その部分には市場原理が働かなくなる。そこまで競争しようとすると、今度は、いい学校ほど授業料が高くなるという状況が生じてくる。実際に、米国ではレベルの高い学校の授業料は驚くほど高い。私立高校の優劣は授業料と完全に比例するのだ。大学もそうである。

しかし、それでは格差解消という本来の趣旨から外れてしまうので、そこは忌避したい。あるいはもし、市場原理を授業料にまで及ぼすなら、金持ち家庭以外の学業優秀な学生は、ほとんど奨学金だけで学校を出られるくらい、奨学金制度を整備する必要がある。日本ではあまり知られていないが、実際、ハーバード大やスタンフォード大の学生の中で、奨学金をもらわずに普通に学費をフルに払っている学生のほうが少ない。どちらの方法にせよ、結局、どこで競争させるかといえば、パフォーマンスしかない。放っておいても税金で補填されて生徒が集まってくるとすれば、成果をチェックする仕組みがないとすぐに堕落するだろう。それがいちばんマズいパターンだ。原資が税であれ、寄付(奨学金)であれ、それを優先的に使えるのは、それを目的に対して最も生産的に使える学校と生徒であるべきなのだ。

沖縄サミット開催

このような様子だから、死亡広告を見れば、その家の親戚縁者が全部分かる。なにしろ、ペルーやブラジルなど南米の親戚までが名前を連ねるのだから、初めて見た人が驚くのは当たり前だ。だれがどこの出身で親きょうだいの繋がりはどうなっていて、親戚にだれがいるのか、たいていのことは死亡広告で分かる。姻戚関係も分かる。政治家などの中にはこれを切り抜いて活用している人もいる。市井の人がなくなっても死亡広告に親戚や地域、友人、郷友会、自治会など大勢の人が名前を連ね、葬送してくれるのだから、ウチナーンチュは、死ぬ前からどこか安心感のようなものがあるのではないかと思う。

沖縄の死亡広告は沖縄の社会、親戚関係、地域コミュニティーを映し出す鏡のようなものである。朝、新聞を手にしたとき、最初に目を通すのは報道面の記事ではなく、死亡広告面という県民が多い。年をとればとるほどこの傾向は強くなる。地域の結びっきが強い沖縄では死亡広告を見ないで、告別式を失礼したりすると後々、困るからだ。このため沖縄の新聞は朝刊の一面に、毎日、「告別式の案内○○面」と表示している。ところが、死亡広告には別の面もある。たとえば、女性の場合だと結婚しているのか、していないのか、死亡広告を見れば分かる。離婚したのかどうかまで分かる。さらに複雑なのは内縁関係の場合など、本妻やその子どもが載らずに、妾の側か載ったりしていざこざの元になることがある。

これもトートーメーと似たようなところがあって、いまのところ、女性団体などからも問題提起されていないようだが、個人情報も絡んでいずれ議論になると思う。また、インターネットによる情報入手が容易になり、若者の活字離れがさらに進むと、沖縄の新聞の死亡広告にも影響を与えるであろう。二十世紀最後の年の夏、世界の目が東洋の小さな島・オキナワに集まった。サミット(主要国首脳会議)が二〇〇〇年七月二十一日から三日問、沖縄で開催され、クリントン・米大統領、プーチン・ロシア大統領、ブレア・イギリス首相、シラク・フランス大統領ら世界の首脳が沖縄を訪れた。正式名称は「九州・沖縄サミット」。蔵相会議は福岡、外相会議は宮崎、首脳会議は沖縄県名護市という分散会議であったが、事実上は「沖縄サミット」だった。

東京以外の地方都市に世界の首脳がこれだけ集まったのは沖縄だけだ。沖縄サミットが終わった後、海外から「宴会サミット」「わずか三日間のサミットのために八〇〇億円」などときつい批判がなされた。当たっている点もあれば説明を要する点もある。しかし、これらの批判は主としてサミット主催国の日本政府に対するもので、日本流の形式主義、金を存分にかけたもてなしが批判されたといっていい。これに対し、たいした金もかけず、自然体で、各国首脳をもてなした地元の沖縄県や市町村にはこうした批判は当たらないと思う。それどころか市町村の中には聞いたら噴き出しそうな首脳招致作戦を展開したところもあって、実ににぎやかだった。

米軍基地問題と引き換えのサミット開催、という見方も確かにあった。それも当たっていると思う。しかし、沖縄県民はサミットを沖縄の将来に繋げようと力を入れ、そしてサミットを楽しんでいた。沖縄サミットは当時の小渕恵三首相の政治的決断で決まった。なにごとも官僚主導で動くことが多い中、珍しい政治判断であった。日本でのサミットは過去三回とも東京で開催されたが、他国では首都以外で催されるケースも多く、小渕首相は二〇〇〇年のサミットは東京以外で開く、と早くから表明していた。全国で八ヵ所が候補地に名乗りを挙げた。札幌市、千葉県、横浜市、大阪府、広島市、福岡市、宮崎県、沖縄県。各地とも猛烈な誘致合戦を展開したが、八ヵ所の中で沖縄は最も見込みがないといわれていた。政治的な問題と警備上の理由からだった。

本格的なAEF部隊

一九九六年の中期には、米海軍の空母の海外展開ローテーションが苦しくなり、中東方面、特にペルシャ湾に一時的に空母が居なくなるという状況が生じた。そこで、次の米空母がペルシャ湾に入るまでの暫定的措置として、空軍のF16部隊がヨルダンに派遣され、続いてバーレーンにも派遣された。一九九六年七月三日から九月二日にかけては、本格的なAEF部隊がカタールに展開した。米本土の現役部隊と州空軍部隊からのF16戦闘機と、現役部隊のF15E戦闘爆撃機、これにKC135空中給油機が合体された混成編成部隊で、約三十機で構成されていた。一九九七年二月二〇日から六月一八日までは、四番目のAEFが再びカタールに派遣されている。構成はF16戦闘機、F15E戦闘爆撃機合計三十機とKC空中給油機四機であった。

これらは暫定的な部隊編成であったが、一九九七年六月になると恒久的なAEF部隊がアラスカのエルメンドルフ空軍基地とイールソン空軍基地に編成された。第35航空遠征航空団と名づけられたこの部隊は、米空軍のB52爆撃機、F15、F16戦闘機、そして海軍のEA6B電子戦機合計三十機で構成されている。EA6Bは米軍装備と任務の統合合理化政策の一環として、空軍のEFI出A電子戦機の運用を停止して、海軍のEA6B部隊に海軍と空軍の双方による電子戦支援を行わせようという構想からのものである。またF16は日本の三沢に駐留する部隊から抽出された。

米空軍は一九九七年から太平洋方面と欧州でもAEF部隊の運用訓練を行う方針をたて、その最初のものとして太平洋軍組織の下に編成されたのがこの部隊であり、在欧米空軍も同様な航空遠征軍を編成する計画を有している。米空軍は、AEFは空母に代わるものではないし、それだけで独立作戦ができるものでもなく、あくまでも一時的な「穴埋め」戦力であるとしている。確かにAEFは航空戦力としては小規模なものであり、それだけで地域紛争に対応できる能力はないから、あくまでも戦力の穴埋め的な部隊でしかないであろう。したがって、米国防総省も恒久的な米軍のプレゼンスに代わるものとしては考えていない。

AEFを派遣するにしても、受け入れ国の承認が必要であり、かなり大きな規模の航空基地がそこになければならないという現実に変わりはない。抑止効果をもたらすためには、頻繁にその場所に展開する方式で実績を作り続けなければならないだろう。このため米空軍のAEFは、あくまでも穴埋めとしての存在であって、すでにある海外駐留米航空戦力の代わりになるものではない。

またAEFそのものにも、大きな問題があることが分かってきている。第一に展開には空中給油機だけではなく、各種資材と地上要員を運び込むための輸送機が必要で、C15超大型輸送機にして十~十二機を要する。その海外基地に常に駐留していないため、基本的には地上支援機材と要員を何から何まで連ばねばならないからである。ここが恒久的に駐留しているのと、根本的に異なる条件となる。さらに、これらの機材は航空兵器や航空燃料を含むものではないから、それらが現地で入手できないとなると、米本土から送ってやらねばならない。

サング・パリワールとは

ヒンドゥー・ナショナリズムを理解する際に重要な用語として「サング・パリワール」という語がある。サングは「組織」、パリワールは「家族」をそれぞれ意味するヒンディー語である。この2つの語が結合した「サング・パリワール」という語は、RSSが母体となって設立されたヒンドゥー・ナショナリズム団体を総称して言うときに使う表現で、「RSSグループ」とでも言うべきものである。これは企業の親会社と子会社の関係のようなものだと考えればわかりやすい。大企業が子会社を作って事業展開をするように、このRSSも、様々な目的に合わせて沢山の組織を作ってきた。それらの団体は、表面上はそれぞれ独立した別組織なのだが、内部ではRSSと密接な関係を保っており、RSSという大組織を母体とした1つの連合組織か形成されている。このサング・パリワールには本当にさまざまな団体がある。まず、最も有名で重要なものは、BJP(インド人民党)であろう。これは1980年に結成された政党で、1998年からは政権与党である。

BJPは、もともとRSSによって作られたBJS(インド大衆連盟)という政党がモデルチェンジしてできたもので、その前身のものを含めると約50年の歴史かある。BJPは結成当初の1984年の下院議員選挙では、全国でたった2議席しか取れなかった。しかし、1989年の下院議員選挙では88議席を獲得し、次の1991年の選挙では119議席にまでなった。大躍進である。この勢いは続き、1996年の選挙では協力関係にある政党を含めると194議席まで伸ばし、さらに1998年選挙では251議席にまで増え、念願の政権与党の座についた。翌年の1999年選挙でも協力政党を含めると297議席を獲得し、政権与党の座を守った。現在のBJPの総裁はA・B・ヴァジパイーである。彼は若い頃、RSSの出版社で仕事をしていたことがあり、明白なRSSのメンバーであった。しかし、政界にデビューすると共に、表面的にはRSSから距離をとった。RSSのメンバーであるということは、政治家として大衆から支持されるためには、やはり具合か悪い。またRSSは、かつて非合法化もされたことがある団体であるため、国家の中枢を担う政治家としては不都合なことが色々と生じてくる。

そのため、現在のヴァジパイーはRSSのメンバーではないというスタンスをとっている。しかし、RSSの内部では、ヴァジパイーはRSSのメンバーとして認識されている側面が強い。RSSの出版する本の中には、彼をRSSのメンバーとして紹介するものもある。ヴァジパイーに関しては、彼の政策や理念が支持されていると言うよりは、彼に付随するイメージが支持されていると言ったほうかよい。私は、第13回連邦下院議員選挙の期間中の1999年8月・9月に、ヴァジパイーの選挙区であるラクナウで聞き取り調査を行なったが、その時、「ヴァジパイーを支持する」と答えた人に対して、その理由を尋ねたところ、殆どの人から「彼は厳格なベジタリアンだから」とか「彼は妻帯していないから」といった答えが返ってきた。この「ベジタリアンである」ということや「妻帯をしていない」といった要素が、選挙の投票に結びつく点は、インドにおける身体性と政治の関係を考える上で非常に興味深い。

また「彼のような欲望を抑制できる高潔な人物ならば、汚職や収賄事件のような不正を行なわないであろう」という期待感が、国民の間に根強くあり、それか彼に対する支持に繋がっているようである。そして、当然のことながら、ヴァジパイーに対する支持は、RSSの末端メンバーの間では非常に強い。RSSの末端のメンバーに「尊敬する人物は誰か?」という質問をすると、彼の名を挙げる人がかなり多い。しかし、近年はBTJPが政権与党になり、ヴァジパイー自身もインドの首相という立場になったため、RSSの主張を全面的に聞き入れることかできなくなってきた。このことに対するRSS内部の反発は、近年徐々に大きくなりつつある。特に、アヨ・ディヤーのラーム寺院建設問題に関しては、この問題が深刻化している。さて、次に重要なのは、VHP(世界ヒンドゥー協会)であろう。これは1964年に結成されたヒンドゥーの聖職者組織で、サング・パリワールの中でも最も過激な活動を行なっていることで知られる。1992年12月のアヨ・ディヤーのモスク破壊は、このVHPが主導した事件である。

このVHPが行なう活動としては、ヒンドゥーの教義の統一化・画一化を進めようとする事業に注目する必要かある。彼らは、インド各地の多様なヒンドゥーの信仰を、サンスクリット的なるものに一元化しようとしている。そして、それによってヒンドゥーの内部からも、インドの統一を成し遂げようとしている。また、この組織の特徴は、海外に多くの支部を持ち国際的なネットワークを確立しているところである。特に、アメリカやカナダの支部は規模か大きく、インド系の移民たちの間で多くのメンバーを獲得している。このような海外のネットワークは大きな資金源となるため、VHPはサング・パリワールの中でも随一の資金力を持っている。さらに、VHPにはバジュラングーダルという下部組織がある。バジュラングーダルとは「ハヌマーンの軍隊」を意味する語で、1984四年に結成された若者の武闘組織である。アヨ・ディヤーのモスクを実際に破壊しだのはこの組織の若者達が中心であり、各種の過激なデモや暴力事件の先頭に立つ実働部隊としての機能を果たしている。彼らの多くは「ならず者」の若者で、日常の行動も非常に粗暴である。

とにかく、彼らの多くは暴れたくて仕方ないといった感じで、血の気の多い若者である。全般的に彼らの学歴は非常に低く、英語か話せるような人間は殆どいない。定職についていないものも結構多く、チンピラのようなことをやって生活をしている者かかなりいる。このバジュラングーダルは、近年、急速にそのメンバーを増やしている。とにかく、社会の中に行き場のないような粗暴なあぶれ者を次々とリクルートし、組織を拡大化しているようである。私は、バジュラングーダルの幹部で、この組織の北インド全体を統括するT・K・ゴーシュに、2002年2月1目、デリーで長時間のインタビューを行なったが、彼はそのインタビューの中で、バジュラングーダルの存在意義を次のように語った。「バジュラングーダルは、インドの国民統合を強化するために活動しています。最近、ムスリムによるテロがインド各地で起きていますが、これはまさに国民統合の問題であり、インドのセキュリティーの問題です。なぜ彼らが、テロのようなことを自分の国で起こすことができるかといえば、それはインドに住むムスリムがインドを母国だと考えていないからです。彼らはサウジアラビアを母国だと思っています。このような国民統合の問題がテロの背景にはあり、これか解決すればインドのセキュリティーの問題も自然と解消されるのです。

バジュラングーダルとはハヌマーンの軍隊という意味です。ハヌマーンがラームとシーターを助け魔王を倒したように、我々バジュラングーダルのメンバーは、テロリストであるムスリムを倒さなければならないのです」ここでも「ラーマ・ヤナ」が自分達の存在意義を語る際に流用されている。物語中の魔王はムスリム全般に置き換えられ、それを倒す勇敢なハヌマーンに自分達を投影している。このようなハヌマーンというシンボルの操作によって、ムスリムに対する暴力行為か正当化されている。また、彼は「インドの国民統合を強化する」ことか自分達の活動の中心であると述べているが、私が「バジュラングーダルが目指す国民統合とは、具体的にどういうものなのですか?」と質問すると、次のように答えた。「インドのナショナリズムはヒンドゥー教に基づいています。国民統合とはヒンドゥーの文化や宗教を強化することです。200年間のイギリスの統治によって、我々のナショナリズムは混乱に陥りました。イギリスの教育によって自己中心的で母国に対する愛を欠いた人間が増大しました。そのために、インドは独立後50年経っても十分に発展していないのです。とにかく、我々はヒンドゥーの精神を思い起こし、その文化や宗教を強化しなければならないのです」ここではっきりと語られているように、彼にとって国民統合を強化することは「ヒンドゥーの文化や宗教を強化すること」を意味している。そして、このヒンドゥーの精神かイギリス支配によって弱められ「自己中心的で母国に対する愛を欠いた人間か増大した」ことかインドの発展が遅れている元凶とみなされている。

今後の地域再生の力

過疎地の限界集落問題は、家やむらを出ながらも、その家やむらから離れて暮らす人たちが、心の底で「チャンスがあれば帰りたい」と思っていることが、今後どれだけ実現するかにかかっている。それがスムーズに実現するなら、この先二〇年は村は安泰だ。むろんここからさらに、二〇年先ではなく、例えば五〇年先を考えるなら、まだまだ安定的だとは言えなくはなる。より若い世代をどうやって同じようにこの地域に引きつけることができるのか。年々縮小していく、むらで生まれる子供の数が、持続可能な程度にまで回復するように図っていくのは並大抵のことではない。

とはいえそれでも、まずはいま、帰れる人がいかに帰ってきてこの地の生活を再開できるかが、当面の課題になる。そしてこのことは決して絵空事ではなく、ここで見た小さな事例でも明らかなように、そのような方向に、日本の農山漁村に生きる人々がすでにこの半世紀の間に、無意識のうちに準備してきたものである。こうして、半世紀の間にむらから排出された人々の再環流が、今後可能になるのかどうか、これが集落再生を占うための最も重大な案件となる。こうした環流がベースとして確立されることで、むらは安定する。そしてそうした安定したむらの人口状態があればこそ、近年の若者たち(昭和末期から平成生まれたち)の農業就労や、都会から離脱する中壮年の帰農といったことが、単なるムードに終わることなく、今後の地域再生の力につながる可能性も見えてくるはずなのである。

ある意味では、こうして戻りたい人がいて、その人たちが戻ればよいだけだとも言える。楽観的に見ればそう見えるし、そうであってほしいと願う。だが、そうとも言えない状況も現れており、なかなか期待通りに進むように思えない現実もある。一つには、戻るにもタイミングやその条件がそろっている必要がある。それぞれの家族事情や収入・支出の状況はむろん大きな足かせになる。またむらに暮らす親との関係も一律ではなく、微妙なところもある。「親がまだ生きているから戻りにくい」という場合さえある。さらには戻った後の収入の問題もある。悪いことに年金問題の見通しの悪さや二〇〇〇年代の不景気は、色々な形で人々の回帰を大きく阻みっつある。

二つ目には、個別の家族の問題としてだけ見れば、現在では、集落に帰還するよりもむしろ、高齢者の都市家族への引き取りの方が有力な選択肢の一つとなってきていることがある。最終的に、親が病院や施設にお世話になることを考えれば、ふるさとに戻るよりも、都会に呼び寄せた方がよいという考えも成り立つ。また若者の就職難は子の独立時期を遅らせているから、親よりも子を優先させる選択も起こりうる。そして三つ目に、人々の環流に積極的であるべき地方自治体も、近年の財政難でもはや細かなところに手がかけられなくなっているということがある。

それどころか、合併した町村では、行政単位においても帰るべき村や町がなくなり、もとの地域への吸引力が弱くなっているケースもある。平成の合併も結局、地方の暮らしを向上させる結果を生みはせず、かえって合併できなかったところの方が、自治体がある分、まだ将来何かがやれる可能性があるといってもよいくらいだ。とはいえ自治体が残っても、今度は制約が大きくて身動きがとれず、思い切った手が打ちにくくなっている。こうした中で、親元への帰還よりも、親を都市へと呼び寄せるようなことが主流になっていくと、結果として、長らく定住が続いていた地域社会が途切れる可能性がある。

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